「国語の神様」から読解力の育て方を学んできました

実は誤解している生徒が多いのですが、私が自分が受験してきた入試で最も安定して得点出来ていた科目は、普段メインで指導している数学ではなく、自他共に認める得意科目であるところの理科でもなく、国語です。現代文限定ですけど。

学生時代から指導を始めて早20年になりますが、今年から初めて国語のクラス指導をレギュラーで担当することになりました。

今まで高校生のセンター試験の指導などはやっていましたが、通常授業を持つのは初めてです。

近年最も頭を悩ませているのは国語の指導です。特に小学生という早い段階で入塾してきた生徒へは、長期的に国語の指導を行うまたとないチャンス。算数より顕著に差が出やすく、また他の全ての勉強に波及するという意味では、算数などの比ではありません。

自分なりのメソッドはあるものの、ずっと指導してきた数理に比べて体系化されていません。数学や理科は全授業オリジナルのノートを作っている作業を通じて整理出来ているんですが、国語はまとまりきっていないのが正直なところ。

生徒に身につけてもらいたいことはハッキリしているものの、それが具現化していないというのが目下の悩みでした。

そうした悩みを少しでも解決出来ないか、とヒントを求めて行き着いたセミナーが「県入試の国語の徹底分析と学習塾での国語教科の取り組み方」でした。

ということで、ここからの話は生徒や保護者の方にとっては直接的には有益ではない、ただただ私が得をしたお話を語らせて頂きますので、テスト直前の自教室生は速攻で勉強に戻って下さい。

国語の神様、降臨

そのセミナーを聴かずにはいられない理由がありました。それは講師が鎌倉で名を馳せるすばる進学セミナーの中本先生だからです。

初めて中本先生のお話を伺ったのは、昨年小田原で実施された教材に関する勉強会でのこと。国語教材に関する貴重な情報を得ると共に、私のやりたかった国語指導を異次元の領域で実現していることに衝撃を受けました。

そのときから中本先生のブログも追いかけていたのですが、強烈な情報量が凝縮された超長文であるにも関わらず全方位に爽やかな読後感を残す文章に圧倒されました。

ぜひともそのヒミツを暴いてやろうと意気込んで臨んだブログフェスですが、軽く挨拶をしたりタクシーで隣に座っていただけ(笑)にとどまり、じっくりお話を伺う機会は今日のセミナーまでお預けとなっていました。

もう全てを吸収する気満々で乾燥したスポンジのような状態です。正直生徒もそんな状態で学校の授業を聴いていればみんな優等生間違い無しなんですが。

セミナーメモ

実際にセミナー中に取ったメモからやる気が伺える

分析の重要さ

セミナー前半は神奈川県入試国語の傾向と対策から。

「傾向と対策」という月並みな表現が陳腐に感じるような、深い分析に裏付けられた対策方法の数々は圧巻です。

正直に言うと、自分の専門である理科をここまで深く潜って分析出来ているか、データ化されているか、自信を持ってYesと言えません。自戒の念を込めて教務にあたらなければいけないと思いました。

不思議なんですが、昨年2回の数学・理科の入試セミナーでこんなことは思いませんでした。自分の専門科目と言うこともあり、自分の思考のレベル感と離れたものではありません。そのときは日頃の指導の正当性にお墨付きをもらった感覚でした。

中本先生の分析ですが、神奈川県入試の特殊性と、それに対策するための教材をセットする精度の高さが印象的でした。一体どこまで教材を解き込んでいるのでしょう。想像を絶します。

来年度入試に1つヒントももらえました。もちろん自塾生には必ずフィードバックします。

もし予想がピタリ的中となれば、もう中本大明神と仰ぐしかありません

語彙の養成は急務

時代間で比較しても無意味なのですが、現在の小中学生、高校生も含めて語彙の乏しさに拍車がかかっているのではないか、と感じています。

セミナーでも何度「語彙」というワードが出てきたのか、数え切れないレベルです。で、実際私の拙いメモを数えてみただけでも5回も書いています。

それだけ「語彙力」は国語を大きく左右する要素だと言うことですね。

当然語彙が不足すると読解に重大な支障をきたします。先日私が毎日ブログを読んでいる國立先生が非常に分かりやすい実例を挙げて説明されていました。

参考 圧倒的な語彙力不足に立ち向かう!その①さくら個別ができるまで

まさに穴だらけの文章を読むようなもの。読解以前の状態です。

小中学生を取り巻く語彙を育てにくい環境

語彙を増やすために必要なインプットの機会が少ないのが原因でしょう。

知識レベルが上の人間との会話、つまり大人との会話は絶好の機会です。読書はもちろん、雑誌を読むのも良いですね。

反面、スマートフォンと向き合う時間が増えるほど、その機会は失われていくと考えています。

SNSを通じてコミュニケーションを取っている相手はほぼ友人のみに限られ、自宅でもせっせと続くため、相対的に家族と接する時間は減る一方。友人同士の会話に使用する語彙レベルは小学生と高校生にさほど差はありません。むしろ高校生のが暗号に近い可能性も。

また、AIが発達した結果、スマートフォンに入ってくる情報はその人の嗜好によってジャンルがどんどん限定されていきます。簡単に言えば、興味のある情報ばかり集まるように出来ています。

目にする言葉も偏ります。その結果、語彙の広がりが限定されてしまうことになります。私自身日頃ヘビーにスマホを使いますので、嫌と言うほど実感しています。あえて自分から違うジャンルを求めて情報を集めに行くようにはしていますが。

よって、読書を全くしない子にとって、かなり語彙を増やしにくい状況が作られていると考えられます。意図して増やしていかないといけない環境なんですね。

かつては家庭任せで良かった語彙の養成、これを塾で担う必要があると改めて認識させられました。

中1文法の悩み

ちょうど今週2つの教室の中1生に単語の分け方の指導をしたところでした。

学校の授業でどう習っているのか毎年疑問なのですが、誰一人理解していません。仕方ないので数年前に自作プリントを作って教えるようになってからは、何とかルールを理解して間違えなくなりました。

ルールを理解しているのと原理を理解しているのは違います。ルールは「このときは分ける、このときは分けない」という目印ですからね。品詞だってまだ習っていないし、いったいプロフェッショナルはどのように教えるのか、とても興味がありました。

今日のセミナーで言及がありました。長年の謎も解けました。

中1には無理なんですね。

まあでも、テクニックだけでも身につけておいて、後から原理を理解してストンと腑に落ちるという仕組みらしいです。これ、理科の化学式のハナシとそっくりですね。中2段階では暗記するしかなかった化学式は、中3のイオンを学習して初めて理解出来ますもんね。

これで安心して中1にテクニック全開の指導が出来ます。

「解釈共同体」という障壁

今日最も考えさせられたのが、後半でお話されていた「解釈共同体」というもの。

解釈共同体についての定義めいたテキストが表示されていましたが、写真を撮り忘れました。しかたないので記憶を頼りに私が捉えた「解釈共同体」とは、「筆者と読者が同じ解釈になるような表現」といったところでしょうか。

例えば、「壁」と書いてあったとき、物理的な壁だけでなく、「高い目標」「障害」「心と心の距離」などを連想することができます。筆者は言ってしまえば読者にその解釈を「期待する」わけですよね。

その期待に応えられれば正確な読解が可能でしょう。しかし、額面通り「ただの壁」だと思ってしまったら筆者の伝えたい意図とは外れてしまいます。

「解釈共同体」のための経験と体験

いわゆる「読解力」と呼ばれるもやっとしたチカラ、これが保護者の方からすると悩みの種ですよね。

「読解力」の正体がおぼろげに見えてきました。

この「解釈共同体」を幼少期からいかに作っておくか、その蓄積量が読解力なのではないかと。

ある言葉を目にしたときに、そこから発想したり、連想したり、類推したりするための知識を増やすこと、これが鍵なんですね。

その知識は、やはり読書経験であったり、誰かとの会話であったり、印象的なものを見たり、聞いたり、感じたりといった体験から培われるものでしょう。そういった経験や体験が豊富であるほど、比例して読解力が高まっていくのでしょうね。

その経験と体験が不足していると、作者からしてみれば当たり前のように知っていて欲しい「解釈共同体」を持ち合わせていないがために、本当の意味が伝わらないことが起こる、これが極端に国語が出来ない子のメカニズムの一端なのかもしれません。

そう考えてみると思い当たる節がワラワラとありますね。

年齢相応の読解力が備わっていない子は、筆者と読者をつなぐ「知識」が不足している。つまり、「知識」を爆発的に増やすような体験と経験をタップリさせてやれば、読解力は伸ばせるということになります。

これは良いヒントをもらいました。

小説文の読解についての持論

私が高校生に小説文の指導をするときよく言っていたのは、

書いてある言葉は全て作者の意図した言葉だ

ということでした。

小説って、説明文とは異なり、作者の意見や主張を書いているわけではありません。作者の作り上げた「世界」を言葉で表現しているものだと思っています。

であれば、作者が紡いだ言葉の全ては「作者の意図で選んだ言葉」ということですね。場面、時間帯、気候、建物、人物像、色、速度感、台詞、その他全て作者が作り上げたものです。

時間帯が夕方であれば、夕方でなければいけない理由があるはず。ものに色がついていれば、その色が示すイメージがあるはず。

これら作者の提示する「情報」を正確に探し出し、その意図を正しく解釈すれば読解問題は解けると考えてきました。「解釈共同体」という概念を聞いて、おおむね指導してきた方針そのものに誤りはなさそうだと感じることができて安心しました。

私のような読書といえば森博嗣しか読まない人間が安定して読解問題を解くことが出来たのは、「解釈共同体」をある程度持ち合わせていたからなんだと思います。これを生徒が培っていかれるような取り組みを続けることで、読解力を引き上げることができそうです。

知見に触れる喜び

やはり国語の神様はいました。

体系化されていない私のノートに新たなメソッドを加えることができた。それだけで今回のセミナーは代え難い価値があったものだと確信しています。少なくとも私には。

そして、頭の良い方の話を聞くのは本当に楽しい。聞いている自分まで頭が良くなったような錯覚がありますからね。

それが錯覚であることは、日頃教えている立場の人間ですからよく分かっています。まさに自分が生徒にいつも言っている、「分かった気になるな」という教訓を胸に、実践へと移していかなければいけません。

さっそく実践してみた

今日指導した小3生に、早速語彙のテストをしてみました。

毎回単語テストを10個やっていますが、その単語・熟語10個から好きなものを2つ使って自由に1文を作るテストです。

結論から言えば、これは失敗です。というのも、10個からという広い選択肢を与えたがために、生徒が目移りしてしまい、使いたい単語がなかなか絞れませんでした。なるほど、選択肢が広すぎるのも難しいというわけですね。

反対に、2つ指定してあげると、すんなり文を書き上げることができました。確かにフリーチョイスが一番難しいですもんね。これは反省です。

まとめ

方向性に誤りはなかったことが認識出来た、これが最大の収穫でしょうか。

しかしクオリティは天と地ほどの差がありますので、より目の前の生徒が解釈しやすく、再現しやすいように伝えていかなければいけませんね。

今後の国語の指導が楽しみになってきました。今担当している生徒はもちろんですが、国語に悩んでいる生徒へのアドバイスもバージョンアップ出来ることでしょう。

こんな貴重なお話を聞かせて頂き、本当に感謝しています。

そして、もう1つの収穫としては、たくさん「語彙」とメモしたおかげで「語彙」という漢字を覚えられたことです。

反復はチカラなり、ですね。