高校数学は「解ける」より「分かる」方が大事

世の中の塾の先生たちが書かれているブログを読むと、ほとんどの先生が同じ事をおっしゃっている。

それは、「分かるとできるは違う」ということ。

そういえばウチの塾の広告にもちょくちょく入るコピーだ。あまりに同じ意見があふれているため私は詳しくコレについて書いたことは無い。私の文章を読むより、他の先生方のブログを読まれた方が良いと思う。しかし記事が多すぎてリンクを貼ることすら出来ない。

有名な格言とはいえ、初見の方もいらっしゃると思うので、ごく簡単に説明しよう。

塾で授業を受ける。塾は分かりやすいのが当たり前なので、生徒もふんふんと頷きながら説明を理解するだろう。先生は板書に華麗な解き方を披露し、生徒はそれをノートに漏らさず書き込む。解説内容もなんとなく納得した。ここまでが「わかる」だ。

その後自分でマネをしながら解いてみると、思うように解けない。つまり、「できる」ようにはなっていない。これが「わかるとできるは違う」現象の正体だ。

ちょっと上手い人の技術を見たくらいで出来るようになる訳がない。私は若い頃から車の運転が好きだし、レースも好きなのでよく動画を見たりする。何年か前に見た「箱根ターンパイクをレーシングカーが全力で走る」動画には衝撃を受けたが、もしその気になって同じ事をマネしようとすれば谷底へ一直線だ。見よう見まねでなんとかなるものでは無い。

とまあ、散々色々なたとえを用いて説明され尽くしたネタなのでこのくらいにしておきたい。

まとめると、先生たちの意見はこう。

わかるだけではできるようにならない。

このとき、「できるようになる方が難しい」というニュアンスが感じられるだろう。

わかる < できる

こんな感じだろう。

私が思うに、それは中学校までの話である。

高校数学はこんなイメージで捉えた方が良いと考えている。

わかる > できる

解けるだけの状態が数学力をダメにする

高校生を指導していて感じること、それはただ「解けるだけ」の状態になっている生徒が多いことである。

数学に限らず、高校で習うことは個人によって受け止め方の差が激しい。私からしたら物理が一番簡単で面白い科目なのだが、ある人から見たらそれはもう変態扱いである。また、私の妻は日本史が鬼のように得意だが、私にとっては強烈な効果を発揮する睡眠薬でしか無い。

さすがにウチの塾に通っている高校生で数学が致命傷になっているような生徒はいない(私の存在価値が無くなってしまう)が、高校数学で大きくつまずく子は、初めから全く解けないわけではないことが多いようだ。それどころか、高校に入って最初のテストはそこそこ出来る子すらいる。

例えば絶対値の問題。機械的に解く方法さえ暗記してしまえば、あんなもの計算だけなら中学生レベルなので楽勝。最初のテスト範囲はこんな調子の問題が続くので、大コケはしにくい。

絶対値の問題も進んでいくといずれ「場合分け」の問題に直面する。それも解説や解答通りに処理して問題そのものを丸暗記していけばその場はなんとかなる。

問題はその後。こうしてただ解けるだけになっていると、恐ろしい勢いで解き方を忘れていく。それは、用語を丸暗記しているのと何ら変わりないからだ。記憶を紐付けるきっかけになるようなものも無い。これをテストのときまで覚えていられるなら、驚異的な記憶力と言わざるを得ない。

先生の説明が理解出来なかったら黄信号

塾に通っているなら良いが、多くの高校生は塾通いをしていない。予備校は学校の授業とは関係が無い。つまり、高校生たちの頼みの綱は学校の先生なのだ。

その授業が理解出来なかったら、もう「分かる」は黄信号だ。その状態でいくら問題集を演習しようと、解き方を覚えようと、それは「解ける」だけ。

しかも、その問題の解き方を覚えているだけなので、初見の問題には手も足も出ない。

解けるようになることは大事。では、なぜそのような計算方法をするのか、それを自問自答して答えが出てこないようなら、それは「分かる」が不十分だ。その状態では友だちに教えたり出来ない。

なぜなら、友だちは解き方を教えるとたいていこう聞いてくるからだ。

「なんでそうやるの?」

自分でもなぜそう解くのか分かってないとき、うろたえて「いいんだよ、解き方覚えておけば」なんて言った日には二度と質問されないだろう。

高校数学は「わかる」のハードルが高い

中学校の定期テストレベルだと、ひたすら「解ける」状態にしてしまえばなんとかなる。学校の先生がオリジナルで生徒の見たことが無いような問題を作問する可能性が低いからだ。何よりテスト範囲が狭い。

しかし、高校数学はそうもいかない。まずテスト範囲がべらぼうに広い。そして何を間違ったかときどき入試問題が定期テストに出てくる。そんなとき数学の解法を「暗記」でこなしていくのは無茶というもの。

高校数学を理解する、つまり「わかる」のは大変だ。中学数学とは思考方法がまるで違う。中学生が作る式は「答えを出すための式」であるのに対し、高校生が作らなければ行けない式は「条件を適用した式」だ。そこに気づかずただただ問題集のマネだけを勉強としてやっていれば、いずれ行き詰まるのは時間の問題。

だから、まず全力で「わかる」を目指した方が良い。一度腑に落ちてしまえば、高校数学は思ったよりスラスラ解けるようになっていく。なぜなら、その式を立てた根拠がハッキリしているからだ。この状態になれば、たとえ初見の問題でも与えられたヒントを使って式を作るのは困難なコトではない。

もう高1生はだいぶ差がついていることだろう。問題集を解いているのにテスト本番で解法を忘れてしまって大きくコケた、という人の多くは「分からずに解けてはいた」に当てはまるはずだ。

おわりに

なぜこんなことを書いたのかというと、指導している高校生のKが今日の学校の授業を分かっていなかったからだ。もちろんKには上のような話をしてあげた。かれこれ指導して8年になるつきあいも長い子なので、言わんとしていることはすぐに伝わった。

まあ、将来数学を敬遠して文系まっしぐら!というなら何も言わないが、数学を捨てるようになったら指定校推薦は絶望的だ。文系でも数学が得点源になっているなら、偏差値がメチャクチャ高くなる。ライバル不在のヌルいゲームのよう。

ちなみにKはセーフである。それは、今日の授業内容だったことも大きい。次回授業までに確かな「理解」をして臨めば、ここからまだまだ戦える。しかも周りの子も全然分かっていない様子だったそうだから、勝ったも同然である。

きちんと理解した上で演習をする。それなら身についた事は抜けにくい。当たり前のことなんだけど、もう少し高校の場ではまず理解することを重視してはどうだろうか。